2007年11月21日水曜日

応援ありがとうございました。


写真>カボ・サン・ルーカスにて


 43年前に製造された、ホンダ・CL72でのBAJA1000挑戦にまつわるストーリーは「出会い」と「驚き」、そして「感動」に満ちたものでした。僕が、このプロジェクト……BAJA1000のルーツとなったCL72でBAJA1000に参戦する……を考え出したのは2002年ごろのことだったと思います。BAJA1000をホンダXL230で完走した直後、次の大きなアニーバーサリー・イヤーとなる40周年記念大会には、BAJA1000誕生のきっかけとなったホンダCL72で参戦しようと。それは、1962年にティファナからラパスまでを走破したデイブ・イーキンスとビル・ロバートソンジュニア2人と同じ体験をしたい、そんな単純な好奇心でした。
 しかし同時に、僕の人生を大きく変えたBAJA1000というものを生み出してくれ、育ててくれた多くの先達たちへの僕なりの謝意の表明でもありました。同時に、たった2人の冒険から始まったストーリーが、やがて世界が注目するビッグイベントとなったこのユニークなヒストリーについて、より多くの人に知って欲しい、という想いもありました。ライダー、渡辺裕之、三橋淳の想いも一緒です。彼らは僕ほど語るのが得意ではないですが、BAJA1000に対する想いは僕以上にあったから、今回のプロジェクトに身を挺してくれたのだと想います。
 今回、僕らは残念ながら自らの能力不足により完走は出来ませんでしたが、パイオニアの2人の想いを共感し、先達への謝意を表明し、そして40年間のストーリーを伝える……そんな目的については半ば達成できたと確信しています。なにより、今回はレースに関わる人たちの「挑戦」への熱い想いを感じる素晴らしい機会でもありました。僕らにしてみれば、たとえ時間内でなくても、完走は絶対しなければ意味は半ばなくなってしまうという焦りが常にありました。しかし、BAJA1000に関わる全てのレーサーたち、サポート、観客たち……そう、僕らの仲間にとってはそんなことはささいなことだったのです。なにより「挑戦する」ということに対して最も高いプライオリティをもっている彼らにとって、結果は二の次。僕らが、BAJA1000のルーツとなったこのCL72で挑戦すると言うことに対して、ちゃかすわけでもなく、バカにするでもなく、本当にがんばれ、と熱く応援してくれました。そして、残念ながらDNFに終わったあとも、コース半ばまで走ったことを伝えると「よくがんばった、また次回がんばれ!」「最高だった。ありがとう」と話しかけてくれたのです。
 おかげで、このストーリーには続編が生まれそうです。渡辺や三橋がどうするかはまだわかりませんが、僕自身、このままでCL72とお別れするのはあり得ないと考えています。何年かかるかわかりませんが、いずれCL72をゴールまできちんとしたカタチで連れて行きたいと思っています。それにはまず、最近知り合ったばかりのCL72を知り尽くさねばなりません。コンディションを崩したときに、どこが悪いのかすぐに察知でき、そしてすぐに修復してあげられること。エンジン音やアクセルのフィーリングで不具合の箇所が瞬時にわかるようになることができれば、BAJA1000完走なんて実に簡単なことだと今は思っています(それよりも、その域に達することが難しいでしょう)。
 しかし、一度始めたことにはきちんとケリをつけたいし、実際に快調に走っているときのCL72は、スポーツマンアンダー250というアマチュアクラスでは、十分勝負が可能なマシンだと僕は思いました。俄には信じられないと思いますが。
 終わりは始まり。次回がBAJA1000の45周年記念大会になるか、あるいは50周年記念大会になるかわかりませんが、必ずCL72をフィニッシュまで連れて行きます。できれば、ゴールはやはりラパスがいいですね。ラパスの電話局前で、1962年のデイブ・イーキンスと同じアングルの写真を撮りたい。それが今の、新しい目標です。しかし、いやあ、本当に大変なライフワークが出来てしまいました。70歳まで走るとしてあと28年。十分に時間はあると思います。バカかもしれませんが、でも、最高にハッピーですよ。苦しいし、辛いけど、こんなに最高な思いを体験させてくれるBAJA1000、そしてそれを作り上げてくれたスタッフたち、レーサーたち、そしてチャレンジ・スピリッツをもつ、全ての人たちに乾杯! です。

2007年11月21日
三上勝久(249x)

P.S.もちろん、CL72以外でのBAJA1000参戦もしますよ。CL72での再チャレンジは味わいながらじっくりとやります。もちろん、その過程は報告していきます。


■CL72 ADVENTURE 1962-2007 経過報告(時刻はおおよそです)
11月13日
8:00 エンセナダ・スタート(三上/八木)
9:30 国道に出て、エンジンばらつき始める
10:00〜12:00 プラグ交換、バッテリーチェック、コンデンサーチェックなどしながら走行
12:00 モトフープス木村さんに油面調整をしてもらい、一時は復調
12:30 右側シリンダー点火せず、片肺状態に。スロージェット脱落発見
13:00 4輪トップ勢に追いつかれる
13:30 チェックポイント1通過
15:30 ようやくバレ・デ・トリニダッド(124マイル/200km地点)到達
17:00 マイクス・スカイランチ到達
17:30 マイクス直後のガレ場を過ぎた先で陽が暮れ始める
18:30 あと50kmくらいだからと闇の中をガマンして走る
19:00 観客にマグライトをわけてもらう
20:00 サントドミンゴ到着。マシン整備、準備
21:30 三橋淳・柏崎出発。チェックポイント2通過
〜この間は三橋の報告待ち。エンジン不調が続く〜

11月14日
09:00 チェックポイント3の1マイルほど手前で三橋がクラッシュ
09:30 サポートに連絡が入る
10:30 三橋、CL72ピックアップ。チェックポイント4のクローズに間に合わないため、方針変更。
チェックポイント5までバイクをクルマで運び、レース続行の判断。
15:30 バヒアデロサンゼルス到着。渡辺・山下走行開始。
16:00 チェックポイント5通過
〜この間は渡辺の報告待ち〜
18:00 エンジンかからなくなる。必死で修復するも復活せず。
18:30 前方にいるはずのMag7がコースを戻ってきてバイクを運んでくれる。
20:00 バヒアデロサンゼルスに戻って修理。国道でサポートポイントを目指すがエンジン不調で断念
21:30 サポートチーム、バヒアデロサンゼルスに戻り始める

11月15日
26:00 バヒアデロサンゼルスで渡辺・山下をピックアップ。
〜完全にレースから脱落。走れるところだけ走ってカボサンルーカスを目指す方針に〜
12:30 サンイグナシオに到着。エンジンテスト。
13:30 サンイグナシオからラ・プリシマまで(約200km)の走行に。三上、柏崎/内野(タンデム)出発
16:30 快調に走行。撮影を行う
17:30 サポートのXR650Lレギュレーターパンク? セル、ヘッドライトが使えなくなる。キックがないので押しがけのみに
19:00 CL72不調の兆し。
20:00 CL72、走行中にいきなりエンジン停止。走行不能に
20:30 ポイントを磨いたりなどしてなんとか復活。
21:00 サン・ハニコ到着。ガソリン購入、ポイント再整備するも不調
22:30 絶不調。スピード上がらず。
23:00 ラ・プリシマ到着
23:30 サポートチームと合流・ピックアップ

11月16日
24:00 カボ・サンルーカスへ向け、クルマで向かう
8:00 トドスサントス到着。朝食。
12:00 表彰式会場到着

CL72自走走行距離 約800km
総走行時間(修理時間含む) 約30時間(平均時速約27km)

■協力・協賛(順不同・敬称略)
本田技研工業・アライヘルメット・ピレリジャパン・テッズスペシャル・SHINICHIRO ARAKAWA H-FREE・野口装美・ペティペインターズパラダイス・YA-HEY・井草博志・JKデザイン+プロダクツ・ダートフリーク・ドラゴン(ストレートシックス)・EKチェイン・コープサイクル・ガレージスプラウト・風魔プラス1世田谷店・10knot・岩本レーシング・モトフープス

■ライダー
三上勝久
渡辺裕之
三橋 淳

■スタッフ
内野ユウ
柏崎佑介
八木哲也
山下晃和
ニコル・パターソン
デイブ
トレバー・パターソン

2007年11月15日木曜日

残念ながら

非常に悔しいのですが時間内完走は無理な状況です。ただし最後のゴール目指して走ります。また報告します。

2007年11月13日火曜日

いよいよ

あと10時間ほどでスタートです。まだバイクの作業がのこってますが…パレードはすごかったです。唯一のバイクで先頭をはしりました。車検会場での反響もすごかったです。でも完走しなければ意味なし。完走できるように慎重に走りたいと思います。では行ってきます。

2007年11月11日日曜日

ティファナ

ヒストリックバイクの展示イベントは結局場所がわからず。残念。明日のパレードに期待します。今はボーダーでツーリストカードなどの手続き中です。

2007年11月10日土曜日

サンイシドロ到着

深夜一時になってしまいました。明日はヒストリックバイクの展示イベントです。寝ます。

もう夜

携帯からアップしてるんですが写真がアップできないことが判明。解決策を検討中デス

移動中

全員集合しメキシコへ移動してます。